カイロヘ

一貫

5日
と、この見出しでは、突然自分探しの旅に出たと思われそうだが、
先日の腰痛を治すべく、今日はカイロプラクティックへ出かけたのだった。
電車では真っ先に優先席へと飛び込むも、
やはり腰が曲がったお年寄りが来れば席を譲らざるを得ない空気になる。
そこで、吊り革を両手で掴みながらバンビのごとく立ち上がれば、
逆に遠慮をさせてしまい、お互い中腰のまま押し問答という悪循環。
善意とは、自らに何も心配がない余裕から生まれるべきなのか。
目的地の「兼古カイロプラクティック」へ着いた頃にはすっかり厭世的になっていた。


この診療所は、僕が北海道にいたころ、カイロに通っていた母が
診てもらった先生の師匠がいるということで紹介してもらったのだった。
僕も一度、母の付き添いのついでに診てもらったことがあるのだが、
整体のイメージにあるような「骨を鳴らす」という行為には無縁で、
首、肩、胴、腰…と部分部分で節に区切られたベッドの角度や高さを調節し、
上に寝ている人間の背骨の位置を正常な状態に近づけるという
スタイルにより、痛みはおろか「何かを施した感覚」さえも薄いという結果に、
当時はキョトンとしながら横たわっていたものだった。


はたして、今日行ってみれば当時の記憶そのままの施術に
再度キョトン…とする間もなく、帰りの道は背筋を伸ばして歩けるようになっていた。
さらに「アナタは甘党だと思うから、こういう風になっているので、これからは控えるようにね」
と看破され、カイロプラクティックの凄味を知る。
この日記のプロフィールページについている情報も変えなくては。
これからはシュークリームとアイスをやめます。