8-9 アニメ唄えば

jitudan2008-04-10

8日
事務所にてネタ見せ。


帰宅後、DVDで「主人公は僕だった」と「ショコラ」を。


「主人公は僕だった」は、ウィル・フェレル主演のファンタジー・コメディ。
起床時間も歯磨きの回数も決まっている、
杓子定規の主人公、ハロルドの頭の奥に女性の声が響き出すようになる。
自分の暮らしぶりを淡々とナレーションする「無神経な天の声」に
参ってくるハロルドだったが、
「まもなく死ぬことになるとは知るよしもなかった・・・」
との声でその不安は頂点に達する。


一方、主人公が必ず死ぬ結末を迎えることで
有名な小説家は、新作の執筆中だった。
しかし、その筆は遅々として進まない。
新作の主人公「ハロルド」の死に方のアイディアが
まったく出てこないのだった…


邦題が指すように、まさしく「主人公は僕だった」という内容なのだが、
小説の登場人物が、作者の知らないところで実在しており、
その人物自体にも、作家の意思が飛び込んでくる。というヒネリは実に新鮮。


声を止めさせるためにバス亭で並んでいる中で怒鳴り、
決められた回数の歯磨きにもビビリ出す、
いわゆるデンパ系の烙印を押されるハロルドに笑い、
死を感じることでこれまでの生き方に疑問を持ち、
徐々に変わって輝き出す姿に胸を打たれる作品だった。


「作者の声がして、その事実を受けて行動することさえ
物語なのだとしたら、自分の意思はどこまでがホンモノなのか…」
と、一度疑問に思うと、ハロルドのみならず、
観ている自分の神経も参ってくるのだが、
そのあたりの映画のウソはガッチリと脇を固める豪華キャストが
なめらかに導き、しゃれたCGエフェクトによる演出もあり、
悩むだけヤボと思えてくるもの。
僕も、こういう杓子定規な考え方から脱皮しなくては、ですね。


「ショコラ」は、因習にとらわれた村に、
北風と共にやってきた母娘がチョコレートショップを開き、
食べた人が好みの味を見つけると
夫婦生活がよくなり、万引きグセまで治るという
魔法のようなチョコレートの持つ力で人々を解き放ってゆく…
と、聞いただけで「甘え、甘え〜っ!!」と叫びたくなるお話なのだが、
そこは「サイダーハウス・ルール」の監督。
北風と共に村から村に移り住む母親の持つ業と、
小さい自分の娘にその業を背負わせなければいけないという
苦悩と、田舎ならではの「よそ者の扱い」をたっぷり描いてくれた。


そして中盤から出てくるジョニー・デップの役柄が
魔法のチョコレートよりも美味しすぎた。
焚き火の炎の向こうでゆらゆらとゆれる空気をまとって彼の背中が
かなしいギターを鳴らす…ありゃ格好よすぎるぜ。


9日
夜、阿佐ヶ谷ロフトAの「おたく酒」に。
酒徳ごうわく監督と一緒に映像コメントを…ということだったが、
後半部はアニソンメドレーがはじまり、一緒になって歌って過ごす。
コメンテーターとしては怠けていたが、会場は一体となって、
「おたく酒」イベントのグルーブ感に胸熱くなるのだった。

  • 写真

先日の上野公園。夜桜もいいが、不忍池の看板もきちんとライトアップ
されており、味がある。